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2010年03月 アーカイブ

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ゆとりある看護

わたしは看護師という仕事を一生続けていきたいと思ってます。

これまで、病院の看護をより良くするためにがんばってきました。

以前は大きな病院に勤めていたので、重症患者が多かったですね。

一生の最期を迎える人がほとんどでした。

なので、そんな患者ひとりひとりの個別性と安楽性を追求した看護が要求されます。

また、患者ひとりひとりにはそれぞれ家族があり、その家族も同様の看護の力を必要としています。 

50近い病床が万床になる、わたしがいた病棟。

スタッフは20数名、これでどのくらいの看護が出来るでしょうか。

患者のうち、2~3人は人工呼吸のレスピレーターを装着していたりし、数名がいつ亡くなってもおかしくないような危篤状態。

走りまわっても追いつかないような看護ケアでした。

人手不足はいつ解消されるんでしょうか。

わたしは今は単発の仕事しかしていませんが、これからも看護の仕事は続けていきます。

なるべくゆとりある看護を心がけて^^

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終末期医療にとって大切なこと

わたしが臨死に関与して常に考えさせられることは、医療そのものの「乱用」に近い行為のことです。

それは患者たちの異常なまでの「科学の介入」に対する期待と、自分たちの不確かな部分を減らしたいという、医師のニーズの両方がもたらしているものといえるのではないでしょうか。

病院まかせの医療や看護は、ものいえない状態で生死をさまよう患者にとって、本当に本人が望んでいることなのかと考えさせられます・・・。

薬効もなく、医療のすべが見当たらない末期状態の患者に対して、同じ人間として何が出来るのでしょうか。

このときにこそ必要なものは、家族の力であり、「平和な死への導き」だといえるのではないでしょうか。

死を受容して生きる人生は、孤独で、それだけに限りある命への認識が高まり、本当に生き生きと生きていけるのだと思います。

教育には進歩、発展、繁栄といった側面ばかりではなく、人間の有限性を見極めること、そしてそのうえで生きる意味を問うことも必要なのではないかと思います。

そして、死を見つめる教育とは、隠された真理、生き方を学習することでしょう。

来るべき高齢化を迎えるにあたり、医療は、単なる延命ではなく、人間の生きる質を大切にした医療を行っていかないと、結局、現代医療が病気は診ても人間を診ないと非難される素地をつくっているといわれることになります。

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